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『ヨガと禅の繋がり』お寺でヨガをする事の意味

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「お寺でヨガって素敵だなと思って・・・」

来てくれる生徒さんがよくこう言ってくれます。

私自身も、お寺という場所はヨガをするのにすごく適しているなぁと思っています。

私は2022年にきっかけがあり、お寺でヨガ教室を始めました。

その経緯についてはこちらに書いています。

それまで仏教については門外漢だった私が、この数年お寺と関わりを持つ中で、

「禅」と「ヨガ」の間にある精神的な繋がりを感じ、深く興味を持つようになりました。

今回はあらためて、お寺でヨガをすることの意味について考え、言葉にして残しておきたいと思います。

執筆にあたりThe Yogis magazine「禅とヨガ」を読んでたくさんの学びを得ました。

書店で購入できますので、皆さんもご興味あれば読んでみて下さい。

あれこれと深く考えず、ただ寺ヨガをするだけでも全然良いんです。

ただ「禅の意味」「ヨガの意味」「その繋がり」を知った上でヨガをすることで、

レッスンがあなたにとってより意味深くなるのではないか?と思い、文章を書いています。

『ヨガと禅の繋がり』お寺でヨガをする事の意味。

◆お寺とはどういう場所か?

生きる苦しみ・不安・欲・怒り・妬み

そういった自分の手に余る感情と上手く付き合っていく為に心を落ち着かせる場所です。

be beautiful,be yourself, あなたはありのままで美しい

この言葉は、マインドフルネスを世に広めたティク・ナットハン禅師の言葉。

本来私達はありのままで美しく尊い存在で、

むやみに不安になる必要はなく、

過度に着飾る必要もない。

誰かと比べて不要な背伸びをしようとせず、フラットな心持ちでいればいいのに、

どうしてもそうはいられない現実があります。

私は「be beautiful,be yourself」を見た時にハッとして、

人の悩み苦しみはほぼ全て、その人自身が作り出しているモノなんだと感じました。

その事実を否定的に思うのではなく、そもそも人間はそういうモノだと腑に落ちました。

だからどの時代のどの国にも宗教が存在しているのです。

お寺や教会は、その場所に来て目を閉じて静かに祈るところ。

人々が苦しいこの世を生き抜く為に存在する場所なのだと思います。

寺ヨガはそういう意味のある処でやらせて頂いているヨガなんです。

◆建築物の中にある禅

  • ミニマリズム:過度に装飾しない精神
  • 侘び寂び:慎ましく質素なものの中にある美しさ
  • 諸行無常:この世の全ては自然に変化し続けていくもの

お寺の設えとは、これらの禅の美意識が各所に表現されている日本建築です。

一方で、ヨガ哲学(ハ支則・五戒五訓)にも仏教と共通する教えがあります。

  • サントーシャ:今ある環境、あるがままの自分が足りている事を知り、過剰に求めない
  • アパリグラハ:必要以上に持たない、執着しない。本当に必要なものは他者と分け合う
  • イーシュヴァラ・プラニダーナ:結果を受容する。自分の力でコントロールできない事は自然の流れに委ねて力を抜く

このように『禅』と『ヨガ』の精神には通ずるモノが多い。

だから禅の美意識がつまった日本建物の中で、その空気・価値観を肌で感じながらヨガをするというのは、

幸せというかなんと言うか…つまり違和感がないんです。

私はレッスンをするにあたり、その内容も大事だけれど「どこやるか」も重要だと思っていて、

例えばキラキラ飾られたゴージャスな所では、ヨガ哲学については伝えづらいなと思うのです。

ヨガと禅が精神的な部分で繋がっているからこそ、言葉で説明しなくても自然に伝わる事があります。

◆ヨガは動く瞑想

いざ座禅を組み、目を閉じて、呼吸を感じて‥‥

人ってそんな簡単に瞑想できますか?

「今ここに集中する」のはそんなに容易いことではないはず。

だからヨガでは身体を使います。

一呼吸一動作を丁寧に積み重ねて、動きに集中する。

そのうちに頭の中の煩悩や執着、不要な感情が気にならなくなっていく。

ヨガにはそういった心地良さがあります。

人によっては難しい瞑想も、身体を使うことで驚くほど簡単に実践できたりします。

俗世で疲れた心と身体を癒し、本来の自分に立ち返る。

寺ヨガにはそんな意味合いがあるのではないかと感じています。

◆誰もが持っている仏性

ここからは余談です。

冒頭に紹介したYogis magazine「禅とヨガ」を読んでいて、もう一つ気付きがありました。

あなたがなんとなくヨガに興味を持ったり、お寺に惹かれたりするのは

心の中に仏性があるからだ。

(仏性とは誰もが持っている慈悲の心)

と、ありました。

正直言って私自身、慈悲心なんて全く意識して生きてなかったので、

言われて初めて「そうか!」と気付かされる部分でした。

そもそも人は何も考えなくても「誰かの為に何かやろうとする仏心」を持っている。

心の全てが慈悲だと言っているのではなく、一部分に仏の心が存在する。

自分自身に照らし合わせて、確かにそうだと思いませんか?

あなたがなんとなくこの記事に辿り着いたのも、無意識の仏性に導かれたのかもしれません。

心の中の仏性に従って、見返りを求めずに、ただ誰かの為に動いているうちに不安も悩みも消えていく。

人はそうやって救われている部分が多いのかもしれないなぁと思いました。

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